トップ / コウノトリ物語
絶滅から野生復帰へ
1971年、日本の空から野生のコウノトリが姿を消した場所が、ここ豊岡でした。それから半世紀、人工飼育・放鳥・農法転換という長い道のりの末に、コウノトリはこの空へ帰ってきました。
絶滅という記憶
コウノトリはかつて、豊岡盆地を含む日本各地に広く分布していました。しかし第二次世界大戦中の 松林の伐採や、戦後の急速な開発による生息地の減少、さらに農薬の大量使用による餌となる小動物の 減少が重なり、生息数は急激に落ち込んでいきます。そして1971年、日本の空を舞う最後の野生 コウノトリが、ここ豊岡で命を終えました。国内の野生個体は、事実上絶滅したのです。
皮肉なことに、豊岡は日本で最後までコウノトリが生き残った土地でもありました。それゆえに、 その後の人工飼育と野生復帰の取り組みも、必然的にこの土地を舞台として進められることになります。
人工飼育という長い挑戦
野生個体の絶滅に先立つ1965年、豊岡では既に野外に残る個体の保護と人工飼育がスタートしていました。 しかし当初の飼育下繁殖は困難を極めます。転機となったのは1985年、旧ソ連(ロシア)から6羽の コウノトリの譲渡を受けたことでした。これにより遺伝的な多様性が確保され、1989年、飼育下での 待望のヒナ誕生が実現します。ここから飼育下での繁殖は軌道に乗り、個体数は着実に増えていきました。
空へ帰す
飼育下の個体数が100羽を超えた段階で、豊岡市と関係機関は本格的な野生復帰計画に 着手します。そして2005年、コウノトリの郷公園から、飼育下で生まれ育った個体が初めて放鳥されました。 これは単なる放鳥イベントにとどまらず、豊岡市が2005年に1市5町(豊岡市・城崎町・竹野町・ 日高町・出石町・但東町)の合併で現在の姿になった、まさにその年の出来事でもありました。
放鳥後の歩みは着実です。2007年には野外で実に43年ぶりにヒナが誕生し、巣立ちに成功。 その後も個体数は増加を続け、2017年には野外個体が100羽を突破、2020年に200羽、 2022年には300羽を超えるまでになりました。
田んぼが変わった
コウノトリが野生で生きていくためには、田んぼにドジョウやカエル、昆虫といった豊富な餌がいる 必要があります。そこで豊岡市の農家は、農薬や化学肥料の使用を大幅に減らし、冬期にも田んぼに 水を張る「冬期湛水」などの技術を取り入れた「コウノトリ育む農法」に取り組み始めました。 この農法で栽培された米は「コウノトリ育むお米」としてブランド化され、環境保全と農業経営の 両立を図る全国的なモデルケースとして紹介されるようになっています。
コウノトリの野生復帰は、一種の鳥を野に戻すだけの取り組みではなく、豊岡という地域全体の 農業・環境政策のあり方を変えるプロジェクトへと発展していったのです。
駆け足で辿る
減少する野生個体を保護しつつ、飼育下での繁殖に向けた取り組みが始まる。
最後の野生個体が豊岡で死亡し、国内の野生絶滅が事実上確定する。
遺伝的多様性の確保により、飼育下繁殖に転機が訪れる。
以後、個体数が着実に増加していく。
1市5町の合併と同じ年に、野生復帰へ向けた初の放鳥が実施される。
放鳥個体が野外で繁殖に成功し、野生復帰計画が大きく前進する。
2017年に100羽、2020年に200羽、2022年に300羽を超える。
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